アナザーストーリー・「僕にとって誇らしい妻」 難病SLEを発症した妻を支える・梅津さん 

アクティブに活動している障がい当事者がいる。その裏には活動を支える人がいる。Co-CoLife⭐︎女子部の新企画「アナザーストーリー」はアクティブ障がい当事者を裏で支える人にスポットをあてます。

新企画1回目は梅津Tさん(47) 。Co-Co Life☆女子部でおなじみで、現在、パラアスリートとして活躍する梅津絵里さんの夫です。 

二人は20代半ばで結婚。順風満帆な新婚生活を送っていた矢先、絵里さんが全身性エリテマトーデス(SLE)を発症。Tさんは国家公務員として働きながら、絵里さんを献身的にサポートしています。 

今回は、Tさんの視点から夫婦のこれまでを語っていただきました。 

一目惚れ、思わず声をかけた 

取材当日は、新宿のホテルラウンジで待ち合わせ。

「はじめまして、いつも妻がお世話になっています」

凛とした立ち姿のTさんと、車いすの絵里さんが笑顔で手を振っていました。

取材中、ソファに座った絵里さんがふとした瞬間にズルッと落ちそうになるトラブルが。その瞬間、Tさんがさっと手を出し、瞬時に絵里さんを支え「大丈夫?」と声をかける様子から夫婦のあうんの呼吸が伝わりました。

 二人の出会いは2001年、東京・横田基地のイベントでした。当時、九州から一時的に東京に来ていたTさんが絵里さんに一目ぼれし、思わず声をかけたとか。

「当時からきれいな人だなと思って」とのろけるTさん。 二人はすぐに意気投合し、2年の遠距離恋愛を経て、めでたく結婚。新婚生活は九州・福岡で始まり、休みの日は夫婦で趣味のサーフィンを楽しみ、充実した毎日を送っていました。 

できることなら変わってあげたい 

幸せな生活から、状況が一変したのは2005年。絵里さんが突如SLEを発症します。SLEは女性に多く見られる免疫の異常で全身に炎症が起きる難病です。医師からは「今後の生活は、車いすで過ごせるかもわからない」と告げられました。 

「あんなに元気だった妻が病気になり、とてもショックで“自分が変わってあげたい”と思いました」と当時を振り返るTさん。 

みるみる体力を失う絵里さんは病院のベッドで寝たきりに。一人では起き上がることも難しくなりました。

当時、絵里さん自身も混乱の中にいたはずです。本来であれば、近い将来には子どもが生まれて、にぎやかな家庭を築く…そんな未来が突然遠くなりました。 

その後は病状が悪化し、気管切開と胃ろうの手術を受けることに。意識がもうろうとし、Tさんが見舞いに来てもほとんど記憶に残っていない時期もありました。 

時間をかけてゆっくり回復。発声が困難な時は文字盤を使って、意思を確認し合いました。休日は少しでも気分転換になるように、車いすで病院の周りを散歩。嚥下(えんげ)訓練が始まると、食べられるものを慎重に見極め、Tさんがプリンや豆腐を差し入れました。 

病院に通う生活が日常になり、Tさんは平日は朝から晩まで仕事へ向かう日々。 

 「自分にできることは限られています。最大限にやって、あとは天命に任せるしかなかった」。 

医療のことは専門職に任せ、目の前のことに集中。先が見えない不安の中でも「どんな状況になろうと妻を支える」と覚悟ができました。 

兄を亡くした経験、積み重ねてきた価値観 

Tさんは九州出身。中学卒業後は親元を離れ、横須賀の全寮制の学校で生活していました。慣れない環境の中でようやく落ち着き始めた頃、兄の訃報が届きます。大切な人を失う経験は、その後の人生観にも影響を与えました。 

現在の仕事においても、同じ高校を卒業した仲間たちとは今でも良好な関係を築いています。一方で、病気などを理由に職場を離れていく同僚もおり、「会いに行けるうちに会っておきたい」と時間を見つけては顔を出すようにしていると言います。 

絵里さんの入院生活は、元看護師だったTさんの母親が見舞いに訪れ、介護をサポート。「お母さんには本当によくしてもらった」と絵里さんも感謝の気持ちを語っていました。 

大切な人が弱っていくこと、そして支え合うこと。そうした経験の積み重ねが、Tさんの冷静さを形作っていくように感じました。 

再び訪れた危機と、現在の暮らし 

ようやく6年間の長い入院生活を乗り越え、絵里さんが退院。これを機に、バリアフリーを重要視した物件を探しましたが、理想の家探しは簡単ではありませんでした。 

その後、関東圏に転勤し、通院環境を考慮しながら二人の生活が再スタート。現在は、社宅系住戸でバリアフリー環境が整われた住宅で暮らしています。不足する部分は介護保険を活用し、トイレや玄関に置き手すりを設置しました。 

日々の生活で大切にしているのは「無理をしないこと」。 

「妻がストレスをためない生活を送ってほしい。本来、女性が家事をするというイメージもありますが、僕自身が自分の身の回りのことはできるので、お互いにできることをやればいいという考えです」 

絵里さんは体調のいい日は外へ出るようになり、車いす女子のユニット「ビヨンドガールズ」を結成するなど、タレント活動を開始しました。 

しかし2020年、再び体調を崩し、てんかん発作で突然意識を失います。幸いにも病院内での出来事だったため迅速な処置が行われ、一命を取りとめました。 

2度目の入院では、Tさんの支え方にも変化が。子どもの頃に習ったエレクトーンを思い出し、ピアノを弾き始めます。 

「入院中、少しでも癒されれば思ってピアノを弾く動画を撮りました。他にはその日に食べた食事や風景を自撮りして、毎朝送っていましたね」。 

曲は「G線上のアリア」や「ノクターン」、「イマジン」などクラシックを中心に選曲。絵里さんへの愛情が伝わってきます。 

現在も仕事に行く前に、筋トレと合わせて練習。一度始めたら、真面目にコツコツ積み重ねています。 

絵里さんも学生時代は吹奏楽部でパーカッションを担当。いつか夫婦で音楽やダンスで、表現する楽しみを共有したいと話していました。 

この先も二人の生活を楽しむ  

現在、絵里さんは2年ほど前からパラアスリートとして活動。車いすダンスで、昨年11月スロバキア世界大会に日本代表として出場しました。 

これまでを思えば、嘘のような挑戦にTさんも驚きを隠せませんでした。 

「僕が支えると言いながら、気付けば妻は世界へ。すごいなぁと感心しています」。 

 競技後には、数日間の休養が必要になることもありますが、絵里さんは常に前向き。時々勢いよく進もうとする妻に、Tさんは「無理しないように」と冷静にブレーキ役を買って出ます。 

Tさんは「支える側」ではありますが、そこにあるのは一方的な献身ではなく、互いのやりたいことを尊重しています。 

「僕にとって誇らしい妻だと思います。これからも応援していきたい」と笑顔を見せました。 

今では、Tさんも職場で同じ病気を抱える人の家族から相談を受けることもあるのだとか。

二人の歩みが誰かの支えになっていると実感しながら、これからも自分ができることを最大限に行い、絵里さんとの暮らしを大切にしています。 

編集後記 

外での写真撮影の際、少し離れたところからお二人の様子を見ていました。印象的だったのは、Tさんが絵里さんに向ける眼差し。夫でありながら、どこか親のような優しさも感じられました。「前世は親子だったのかな」と思うほど、深いつながりを感じるご夫婦でした。 

絵里さんが以前、「私は夫のおかげで好きな活動ができて感謝しています。でも、彼はどう思っているのかな」と話していたことがあります。 

今回の取材を通して、その答えの一端に触れられたように思います。

撮影:鈴木智哉 取材・文:飯塚まりな

【過去記事】
梅津絵里さんが参加した40代3人の座談会
”あの人”の今♯3 ビヨンドガールズ