追悼「空飛ぶ車イス」木島英登さん

「空飛ぶ車イス」こと木島英登さんが、2022年7月11日にご逝去されました。享年49歳、くも膜下出血でした。

世界175ヶ国を車いすで訪問し、そのほとんどが一人旅。世界のバリアフリー、ユニバーサルデザイン、そしてダイバーシティ・多様性の事情を熟知する第一人者として、記事や書籍・論文の執筆、旅行業界へのアドバイス、多方面でご活躍されました。海外ではシンポジウムや大型イベントなどで日本のバリアフリー事情を紹介し、障がいのある外国人観光客を、日本へ誘致する活動にも力を注ぎました。

航空会社による<違法な>車いすユーザーの乗車拒否に遭遇(そうぐう)した際には、毅然と声を上げ、新聞などによる報道と、国土交通省による行政指導を誘発。
この件は最終的に、行政の指導を受けた航空会社トップが、日本の法律である「障害者差別解消法」を遵守すると陳謝し、全面的な業務改善を行うことになりました。

このように、車いすユーザーの正当な権利保持や、障がい者の世界への旅行、そして世界から日本へのバリアフリー観光に、大きな一石を投じた方でした。

2022年4月からは山口県の梅光学院大学 文学部 国際教養コースの常勤講師として赴任し、ダイバーシティの授業をご担当されていた木島さん。新たなステージで、ますます精力的にご活躍されているところでした。また、本誌の創刊10周年記念号(vol.40・2022年5月末発行)にもご祝辞をいただきました。

突然の訃報に、ご家族や、友人知人、仕事の関係者も皆、言葉がなく、大きな悲しみに包まれました。本誌の創刊以前から木島さんにお世話になっていた「Co-CoLife☆女子部」編集部では、その業績を讃えるため、この追悼ページを作成しました。

木島英登さんのホームページに掲載された記事には、世界のバリアフリー事情の記事が満載。アメリカ、ヨーロッパはもちろん、アジア諸国や、アフリカ大陸の、貴重なバリアフリー情報が写真とともに残されています。国内は北海道から、離島の西表(いりおもて)島まで、全国の観光地・名勝地のバリアフリー情報が残されています。これから世界を、日本を旅したいCo-CoLife☆女子の皆さんは、ぜひ参考にしてみてください。

木島英登バリアフリー研究所「世界のバリアフリー写真」
https://www.kijikiji.com/consultant/ex/world.htm

同「日本のバリアフリー写真」
https://www.kijikiji.com/consultant/japan/japan.htm

◆木島英登さんとは

今から21年前、木島英登さん28歳のときに初めて出版した著書の前書きには、 こう書かれています。少し長いのですが、木島さんのことがよくわかる文章なので、引用してみます。

車イスだからって旅行するのを我慢したくない!

 「どこにだって行ってやる!」という精神で、私は世界中を旅している。
 最初は、交通機関はどうしよう、障害者用トイレはあるのか、泊まれるホテルはあるのか、など心配ばかりだった。しかし、慣れと度胸でどこにでも行けるもんだと今は実感している。

 私は、高校三年生のとき、ラグビー部の練習中に下敷きとなり、背骨が真っ二つに折れ、以来、車イスでの生活を余儀なくされた。
 車イスとなって最もショックだったのは、自分が一生歩くことのできない体になったことではなく、周囲の人々の態度が変わったことだった。下半身が不自由になったとはいえ、私自身の中身は何も変わってはいない。明らかに舐めた態度を取られたり、哀れみの言葉をかけられる場面に何度も遭うようになった。私自身は何にも変わっていないというのに。
 何か車イスで行動しようとするたびに、「設備がないからできません」「規則ですからできません」と言われる。車イスになった途端、何でもダメだダメだと言われるわけだ。本人がしたけりゃ、したらいいじゃないか。車イスというだけで何でもできません、とは行動する機会すら与えてくれないのか。
 私は、負けん気が強い。それに障害を理由に自分が変わりたくなかった。だから、自分がしたいことは何にでもチャレンジした。やってもいないのに諦めるより、やってみて諦めたほうが納得できるからだ。

 大事なのは、やってみること。「できる」「できない」を考えていたら行動を起こせない。「やるか」「やらないか」その意思が大切だ。

 車イスでの旅となると大変なことが多いと思われるだろう。確かに、ホテル探し、交通機関の利用、街での段差など、困難なことは非常に多く、どこでも人の助けが必ず必要だ。なぜそんな苦労までして旅に出るのか?
 実は、「車イスだから人の助けを借りなければならない」=「現地の人と接する機会が多い」と思えば車イスでの旅も悪くないものになる。少し考えを変えるだけで逆境も楽しく開かれていく。

 イチローや新庄がメジャーリーグに挑戦したり、サッカー日本代表の小野や稲本などが海外のリーグに挑戦したりするのを考えていただきたい。常に何か新しいものに、新しい環境でチヤレンジしたいのだと思う。
自分の実力がどこまで通用するのか。車イスでどこまで行けるのか。どこまで出来るのか。私のキャラクターがどこまで通用するのか。現地の人とどこまでコミュニケーションがとれるのか。私は、そんなことを知りたいのだと思う。(中略)

車イスで旅したからこそ、世界中の多くの人々と出会い、助けられ、笑いあった。時には冷たくされ、心で泣いた。

行ってみるまで、大変なのか楽なのかわからない旅。予想外のことが起こる楽しさ。車イスならではのハプニング。いったい何が待ち受けているのだろうか。

書籍「空飛ぶ車イス 〜元ラガーマン、世界39カ国の旅〜」より
木島英登著・‎IMS出版 (2001年発行)

木島英登さん、世界での仕事フォトギャラリー

プロフィール

木島英登(きじま・ひでとう)

「空飛ぶ車イス」、木島英登バリアフリー研究所代表

1973年大阪生まれ。神戸大学 発達科学部 人間環境科学科卒業。専門は社会環境論。 
大阪府立池田高校3年生の時、ラグビー部の練習中に、第11胸椎を脱臼骨折、脊髄を損傷。両下肢機能完全まひとなり、以降車いす生活に。1年間の休学の後、高校に復学。
1993年 神戸大学入学。模擬国連、留学生ボランティア、不登校カウンセラーなどの活動に勤しむ。
大学卒業後の1997年、(株)電通に入社、関西支社マーケティング局に配属。
2000年 個人活動として旅行情報サイト“ Travel for All” を開設。2002~2003年、会社を休職し、アメリカ・カリフォルニア大学 バークレー校に留学。研修生として「障害を持つ学生の受け入れ体制と組織・米国最新事例」を研究。障がいのある学生の教育計画に携わる。
2001年に初の著書「空飛ぶ車イス(IMS出版)を上梓し、テレビ、新聞などのメディアなどで大きく紹介される。
2004年、(株)電通を退社しフリーランスに転身。木島英登バリアフリー研究所を設立。以降「恋する車イス(徳間書店・2005年)、「車いすの旅人が行く!(講談社・2008年)、「秘境の車イス(電子書籍・2014年)」など、著書を次々と発行。台湾でも翻訳本「心の無障礙(2009年)として発行される。また『理想の「車いす対応トイレ」とは? 世界との比較(2008年)』、『ホテルのUDルーム(車いす対応部屋) 世界との比較(2010年)』、『誰もが旅に出よう! バリアフリー・ユニバーサルデザイン旅行調査(2012年)』、『スタジアムのユニバーサルデザイン(2015年)』など、英語・日本語での論文を多数執筆する。
2011年 特定非営利活動法人 Japan Accessible Tourism Center 設立。代表に就任。
2017年 バニラ航空の車いすユーザー搭乗拒否に遭遇。障害者差別解消法の遵守のため、問題を正そうと声をあげたところ、報道が加熱し、インターネット上での大論争が発生。その後、国土交通省の指導により、バニラ航空が謝罪し、車いす対応可能に。問題が収束する。
2022年4月 梅光学院大学(山口県)文学部 国際教養コース常勤講師に就任。ダイバーシティ論などの授業を持つ。
2022年7月、くも膜下出血のため49歳でその生涯を終える。
「空飛ぶ車イス」として、世界175ヶ国を訪問。そのほとんどが一人旅。世界のバリアフリー事情を知る第一人者として、執筆、講演などで活躍した。

お知らせ① 木島英登さんの講演動画を、期間限定で無料配信

一般社団法人日本福祉事業者協会では、有料配信中の木島英登さんの講演動画を、期間限定で無料配信することを決定しました。2020年、同団体のイベントに「Co-CoLife☆女子部」がオンライン登壇した際、ゲスト講師として木島さんに登壇いただきました。その時の様子です。

世界のバリアフリー事情と、木島さんの「思い」が込められた講演。
気軽にみられる動画ですので、ぜひご覧ください!

●配信期間:2022年10月1日〜2023年1月31日(4ヶ月間)
●視聴費用:無料
●視聴方法:以下のページよりご覧ください。

お知らせ② 「きーじー基金」のご案内

「きーじー基金」は、ご遺族であるご夫人と、中学3年生、中学1年生、小学2年生の4人のご家族を支援するため、木島さんの同級生である神戸大学の友人一同が立ち上げた、養育基金です。2023年6月末日を期限に、募金を受け付けています。
コロナ禍のため、お別れの会などが実施できていませんので、直接の関わりがあった方はぜひ、ご協力ください。

詳しくは「きーじー基金」ご案内ページへ

●木島英登さんへ 本誌スタッフからのメッセージ

木島さんとの出会いは、13年前の2009年。2008年に創刊した雑誌「Co-Co Life」(「Co-Co Life☆女子部」の前身の雑誌)に、「世界を旅する車いす」という連載コラムを依頼したのがきっかけでした。当時、無名だった「Co-Co Life」を木島さんが見つけ、自ら関西から東京の事務所に会いに来てくれたのが始まりでした。なんてアグレッシブな人なんだろうと驚きました。

その後、2011年に障がい当事者の合コンイベント「きっと出会えるパーティーin関西」を一緒に企画するなど、いろいろな場面で関わっていただきました。

木島さんは「先駆者」であったと思います。まだまだ先駆者として活躍して欲しかったですし、亡くなられたのは大変残念ですが、木島さんがまいた「先駆者」の芽は、後に続く人に引き継がれていくでしょう。

遠藤久憲(NPO施無畏 代表理事)


突然のことで驚いています。あまりにも早い訃報、とても残念です。

木島さんは、本誌の「海外旅行特集」に有識者としてご登場いただき、取材させていただきました。

笑いを交えながら、海外のバリアフリー事情や、日本の福祉の良いところについて、たくさんお話をしてくださりました。取材時間ギリギリまで、夢中で、色々質問したことを今も覚えています。

とてもパワフルかつユーモアを感じる人で、同じ障がい当事者として、さらには人間として「実際に目で見て、体験し、経験を重ねること」の素晴らしさを感じさせてくれました。

野崎恵美子(「Co-Co Life☆女子部」ライター/視覚障がい)


私自身も旅が大好きなので、木島さんの世界を旅する姿にいつも元気をいただいていました。また、私が大阪でコンサートをした際に、初めましてにも関わらず、駆けつけて応援くださった事、とても嬉しかったです。もう会えないなんて、信じられません。

木島さんの教えてくださったチャレンジ精神を私も常に持ち続けていきたいと思います。どこまでも木島さんの背中を追いかけていきます!

小澤綾子(筋ジスと闘い歌うシンガー・社会活動家・講演家/筋ジストロフィー)


木島さんと直接お目にかかる機会はなかったのですが、忘れられない出来事があります。

2017年に「Co-Co Life☆女子部」で「奄美大島」特集をしたときのことです。現地取材のためバニラエアを予約しましたが、同行者が車いすであることを伝えると、乗機拒否されてしまいました。お問い合わせのメールを送ったり、電話をかけたり、条件を伝えたり、かなり頑張ったのですが、答えはNOのまま。非常に歯がゆい思いをしました(かなり控えめな表現です、激怒してました)。

その1ヶ月後です。木島さんが飛行機のタラップを自力で降り、大問題になって、あっという間にバニラエアは全線車いす対応になりました。木島さんの行動力と影響力の大きさを痛感した事件でした。

自分が行動することで社会を変えるかただったと思います。木島さんの遺伝子が多くの人たちに伝わることを願ってやみません。

和久井香菜子(合同会社ブラインドライターズ 代表)


突然の訃報に本当に驚きました。
まさか、あんなにパワフルな方がこの世を去るなんて。
人生の無常さをこの度まざまざと感じており、未だ心に穴が空いております。

木島さんとの一番の想い出は、「Co-Co Life☆女子部」撮影の合間のたわいもない雑談。それまでSNSやメディアを通じて木島さんのことは存じ上げていたものの、実際にお会いしたのは2018年でした。

何の屈託もないような、豪快な笑顔と物言いで、自身の海外での体験談を色々と語ってくれ、その周りにいた当事者インフルエンサーや、スタッフの方々を虜にする木島さん。

豪快に、流暢な大阪弁で、時にはユーモアを交えながら語っておられました。
それはそれはとても楽しい時間でした。
彼の生き様やお人柄が滲み出ていて、その場にいた私はそのオーラに圧倒され、とても楽しい気持ちで、刺激を受けたのを覚えています。
人々が木島さんの魅力に惹きつけられる理由はそういう所なんだと実感できた瞬間でした。

またあの豪快で優しい笑顔にお会いできないのは、とても悲しいです。
常にパイオニア的存在で、バリアフリーな社会を目指し長年活動されていたので、まだ変えたい事もたくさんあったと思います。
志半ばでとても無念だろうとお察しします。

木島さんがいない今、改めて、自分自身が今後どう生きるべきかを問うと共に、彼が残してくれた課題を仲間たちと一緒に考え、少しでも活かせたらと思います。

木島さんとの想い出と著書は、私の宝物です。
これからもずっと、皆の心の中で、木島さんの熱い魂は生き続いていると思います。
ほんの僅かな間でしたが、共に時間を過ごせたことが誇りです。
ありがとうございました。

梅津絵里(車いすインフルエンサー、ビヨンドガールズ/全身性エリテマトーデス)


突然のことに驚いております。
木島さんが旅行をバリアフリー化することに尽力され、
様々な変化につながってきました。

まだまだ、やり残したことはあったと思います。
木島さんの進めてきたことが、これからの人たちにも引き継がれて、
車いすでの旅行が特別なものでなくなるように、
もっともっと世の中が変わることを。

長谷ゆう(「Co-Co Life☆女子部」ライター/広汎性発達障がい)


木島さんには、「Co-Co Life☆女子部」スタッフさんの紹介でお会いしました。初めてお会いした時には、一緒の美術館を巡り、アメリカ留学経験のある私は、世界一周した木島さんと海外の話で盛り上がりました。

お会いする前には、バニラエアでの乗車拒否の話題の際に、マスコミの報道の仕方で木島さんのイメージが、少し怖かったのが事実なのですが、実際お会いしたら、優しくて気さくな面白いおじさまで、すごく話しやすくて、海外トークでとても盛り上がりました。

その後も「Co-Co Life☆女子部」の撮影で一緒になり、待ち時間に他愛もない話をしたり、日本にきた外国人トラベラーを対象にした通訳のバイトを紹介してくれたりと、色々とお世話になり、仲良くさせてもらっていました。

自分が車いすインフルエンサーとしての活動を始めてからは、なかなかお会いできる機会が減ってしまいましたが、仕事で日本の各地や海外遠征をする機会が増え、旅先でに車いすユーザーとしての不便さや悩みがたくさんあり、「木島さんに今度あったら色々聞きたいなぁ」と思っていました。

またすぐにお会いできると思っていました。

訃報をお聞きした際、とっさに、海外で何かの事件に巻き込まれたのかと思いました。しかし原因は、突然のくも膜下出血と聞き、本当に驚きました。あんなに元気でアクティブだった木島さんが、亡くなったなんて信じられません。
人間いつどうなるのか、本当にわからないと感じました。

でも、世界一周をしたり、さまざまな場所でさまざまな人々と交流して、広い世界を見てきた木島さんは、きっと後悔のない人生を生きたんだと思います。

私も、後悔のない人生を生きたいし、木島さんのように広い世界を見て生きていきたいです。

中嶋涼子(車椅子インフルエンサー/横断性脊髄炎)


私はテレビで木島さんのご活躍を知りました。その姿に驚き、明るい未来そのものが目の前にあるように感じたのが忘れられません。

こんな方がいるんだ!人生ってなんでもできるんだ!みたいな心強さをいただきました。

その後、「Co-Co Life☆女子部」に関わってくださっているのを知って、陰ながら嬉しく思っていました。

木島さんの遺志は様々な形で受け継がれ、これからもずっと勇気と希望と変化を与え続けてくださることと思います。

紅林弘美(「Co-Co Life☆女子部」デザイナー)


最初に木島さんにお会いしたのは本誌の取材でした。取材後、木島さんは次の用件に向かうご様子で、「良ければ一緒に行きませんか?」と気さくにお誘いいただいたのですが、その時は同行できませんでした。今回のご訃報を聞いて、あの時ご一緒しておけばよかった、もっとお話ししておけばよかったと後悔しています。

弊団体のスタジオ撮影では、背筋を伸ばしたスーツ姿が印象的だったのを覚えています。

世界175カ国訪問など、体当たりで様々なことに取り組み、その体験を言語に置き換える力、発信する力。障がいの有無は関係ないな、と改めて思います。

ご生前の木島さんに負けないように、私も引き続き頑張っていきます。

扇 強太(NPO施無畏 理事)


世界中でどんな危険な目や、ピンチにあっても、ガッハッハ~と豪快に笑い飛ばし、元気に帰国していた木島のアニキが、49歳で永遠の旅に出てしまいました。

突然の訃報に、まず同世代の友人・仕事仲間として、とてもショックを受け、その後、改めて彼の観光業界への貢献を感じています。

車いすからラクダに乗り換えて、アフリカの砂漠を攻めた日のこと。イタリアの片田舎の砂利道で、車いすがパンクしたエピソード。木島さんの話は、いつも斬新な風景に満ち溢れていました。パワフルでカッコいい人でした。

「空飛ぶ車イス」は、今も、天国、地獄とか、三途の川、彼岸、極楽浄土、そういうところを興味のままに、やすやすと飛び回り、視察しているんじゃないかなあ。

守山菜穂子(「Co-Co Life☆女子部」編集部)


木島英登さんの功績を讃え、心より感謝すると共に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「Co-Co Life☆女子部」編集部

記事内写真撮影:
旅の写真/木島英登さん提供
ポートレート/鈴木智哉(2018年1月24日撮影)
書籍写真/守山菜穂子