伝え続ける。「心のバリアフリー」が当たり前になる日まで。
「死ぬことばかり考えていましたが、頑張って生きていこうと思います」
「自分の悩みなんて、ちっぽけに思えてきました」
ユーチューブ「しょうこちゃんねる」のコメント欄には、動画を観て心動かされた視聴者たちからの熱いメッセージが並びます。
ユーチューブ開設から2年あまりで、瞬く間にチャンネル登録者数7.33万人(2022年9月現在)を数える人気ユーチューバーとなった、車椅子のバリアフリー活動家・高橋尚子さん。P&Gのヘアケアブランド『パンテーン』のCMで、サラサラヘアと笑顔が印象的な彼女を目にされた方も多いのではないでしょうか?
17歳のときに交通事故で頸髄(けいずい)を損傷し、鎖骨から下の自由がきかない四肢麻痺に。ときには生きる意味さえ見失っていた彼女が、どうやって前を向き、多くの人に生きる勇気を与える存在となっていったのか? これまでの道のりを振り返っていただきました。
卓球に打ち込んでいた学生時代
姉の影響で小学1年生の頃から卓球をはじめた尚子さんは、高校に入るとインターハイのシングルスで全国13位入賞を果たすなど、卓球選手として活躍していました。
「将来は実業団に入って大好きな卓球を続けていきたい」との希望を抱き、高校卒業後は卓球の強豪校として知られる東京の大学への進学も決定。ところが……。
高校卒業を控えた2011年1月。その夢は無残にも打ち砕かれることに。卓球の全日本選手権を終えて空港から寮まで帰る途中、学校関係者の運転する車がトラックと衝突。その事故に巻き込まれたのです。
不吉な予感は現実に。人生が一転した日
「実は、遠征に出かける前から立て続けに悪いことが起きていたんです」
と尚子さん。
練習中に足を捻挫したものの、ドクターストップを振り切って現地入り。すると試合前日、突然の発熱に見舞われました。母親に電話をかけて「何かに取り憑かれているのかな? 帰ったらお祓いしてもらわんと」と不安を口にした翌日。その嫌な予感が的中してしまったのです。 そもそも当初の予定では、飛行機で熊本へ到着した後、両親の迎えで実家に帰る予定でした。
しかし、大会前に足を痛めて練習を十分できなかった悔しさから、「やっぱり練習しよう」と寮へ戻ることに。卓球を愛するゆえの決断が、運命の分かれ道となりました。
もう歩けない……。突きつけられた過酷な現実
「先輩! 先輩!!」
耳元で必死に叫ぶ、後輩の声。
意識確認のために、救急隊員が自分の頬を叩いている。
これで、わたしは死ぬんだ……。
意識が朦朧(もうろう)とするなか、死を覚悟した尚子さん。
5時間におよぶ手術を終えて目が覚めたとき、「生きていて良かった」という安堵に包まれました。
「ときが経てばもとの健康な体に戻れる」と信じていた尚子さんは、完治を目指してリハビリに励んでいました。しかし3カ月以上経った頃から違和感を覚えはじめ、それが決定的となる出来事が。
「リハビリ中、セラピストさんから『この状態のまま生活できるように頑張ろうね』と声を掛けられ、それってどういうこと?って。インターネットで症状を調べ、自分の体が元には戻らないんだと把握しました」
尚子さんにとって歩けないこと以上に辛かったのは、「大好きな卓球ができなくなった」ということ。
「卓球一筋で生きてきたので、大学はどうなるんだろう? 将来は何をして生きていけばいいの? という不安が大きくて。このときは体が麻痺したことの重大さを、分かっていませんでした」
2年あまりの入院で徹底的にリハビリを重ねたあと、脊髄損傷専門のトレーニングジム『ジェイ・ワークアウト』へ通うべく単身上京。一年後、実家がバリアフリーになったタイミングで熊本へと帰った尚子さんでしたが、そこにはつらい現実が待っていました。
生きる望みを見失った私を、救ってくれた言葉
トータル3年にもおよぶリハビリを経て、ようやく日常生活に戻った尚子さん。ところが待ち受けていたのは、健常者と障がい者との間に立ちはだかる、目に見えないバリアフリーの壁でした。
「入院中はまわりも同じような患者さんだし、私の身体を理解してくれている看護師さんたちがいて、設備も整っています。だけど一歩外に出ると、周りは健常者ばかり。友人たちは学生や社会人となって毎日を謳歌する一方で、私は家族に頼らなければ生きていけない。家でただじっと、一日が過ぎるのを待っていました」。
生きる意味さえ見失い、「もう死にたい」と母親にやつ当たりしたことも。
「感情の起伏が激しかった私を、母は『大丈夫、大丈夫』となぐさめてくれて。両親、姉、弟、友人たち。温かく接してくれたみんなには、心から感謝しています」
多くの愛に支えられ、事故から4年あまりが過ぎたころ。友人からの言葉が後押しとなり、尚子さんの人生は転機を迎えます。
それは、尚子さんがSNSで思わず弱音をつぶやいたときのこと。 書き込みを読んだ友達から、LINEでこんなメッセージが届きました。
何もできん、ってなるのを「そんなことないよ」ってなぐさめるのは簡単だけど、
大切な友達だからこそ、無責任な言葉はかけられん。
ただ、「尚子に色々してあげたい!」っていう友人が周りにいることは、
誇りに思ってほしい。そして、何ができるか一緒に考えよう!
今もスクショしたその言葉を読み返すことがあるという、親友からのエール。
「支えてもらっていると気づきながらも、どこかでうらやましがっている自分がいました。だけど友達からそんな言葉をもらい、こんなにも良い友達に恵まれているのに、どうして人と比べてばかりいたんだろう?と自分が恥ずかしくなって」
自分は自分、自分のペースで歩んで行こう。
友人の言葉をキッカケに、前に踏み出すことを決めた尚子さん。 このとき以外にも、たくさんの励ましや気づきとなる言葉をもらって救われたことで、言葉が持つチカラ、伝えることの大切さを強く感じたのでした。
ウェブデザイナーとして独立。強みを持てたことが自信に
もともと「思い立ったらすぐ行動派」の尚子さんは、車の運転免許を取得。一人で車椅子から運転席に移るための移乗をマスターし、アクセルとブレーキを手で操作できるようカスタマイズしてもらった車のおかげで、行動範囲が広がりました。
そして次に挑戦したのが、ウェブデザイナーへの道。
就労支援でパソコンの入力作業などの働く経験を通して、仕事へのやり甲斐を見出した尚子さん。「せっかくなら楽しく仕事がしたい!」とインターネットで調べて見つけたのが、ウェブデザイナーの仕事でした。
「PC一つあれば、在宅で体調に合わせて仕事ができる。これを強みにできたら世界が広がるかも。それにウェブデザイナーって響きもかっこいい!」。地元・熊本のウェブデザイナーを養成する学校に相談したところ、「バリアフリー対応ではありませんが、全面的にサポートしますから、ぜひ来てください」と温かい言葉をもらい、1年間かけてウェブデザインの知識や技術を習得。卒業後はデザイン会社で実践を積み、2018年に晴れて独立を果たしました。
ある“出会い”から夢は加速。「くまバリ」で掲げた「心のバリアフリー」
「自分にできる仕事を考えて行動に移したこと、強みを持てたことが自信へとつながり、世界が広がりました」
フリーランスのウェブデザイナーとして活動するなか、尚子さんはある思いを抱くようになります。
それは「熊本全体にバリアフリーを広げて全員が生きやすい社会にしたい」ということ。そこで2019年に立ち上げたのが「くまもとバリアフリープロジェクト」、通称「くまバリ」でした。
小さな段差をひとつ越えるのも大変なこと。広い駐車スペースが必要な理由。日常にバリアを感じながら生きている人がいることを発信したい。そして「心のバリアフリー」で解決できるバリアがあることを、多くの人に知ってもらいたい。
「心のバリアフリー」を思いついたのは、尚子さんの実体験によるものでした。
ある美容室に初めて足を運んだとき。店舗は建物の2階でエレベーターもなかったため、お店の人に声を掛けてみたところ、美容師さんたちが車椅子ごと尚子さんをひょいと持ち上げ、2階まで運んでくれたのです。
「その瞬間、人の優しさでバリアは越えていけるんだ! と、心が弾みました」
ハード面のバリアフリー以上に必要なのは、心のバリアフリー。多くの人は知る機会がないだけで、知るきっかけさえあれば、何か変わるかもしれない!
目標を掲げるキッカケとなった美容室のオーナーさんから背中を押され、「くまバリ」の活動をスタートさせた尚子さん。ホームページを制作するにあたって活動への思いを伝えるPV(プロモーションビデオ)を作りたいと考えていたところ、前述の美容室が作ったPVを一目観て、衝撃が走ります。
「その動画がめちゃくちゃカッコよくて。オーナーさんに『この動画を制作した人を紹介してください!』とお願いしました」
こうして紹介されたのが、熊本在住の動画クリエイター・フミヤさんこと中川典彌(ふみや)さん。今ではビジネスパートナーとして一緒に活動する大切な仲間です。
「フミヤさんと初めて会ったとき、『尚子ちゃんに出会わなければバリアフリーの大切さに気づかなかった。だから、動画制作だけじゃなくて一緒に活動したい』と言ってもらえて。とても嬉しかったです」
一緒にバリアフリーの大切さを届けることができれば、世界を変えられるかもしれない。 フミヤさんと試行錯誤を重ねながらホームページや動画を制作し、「心のバリアフリー」に賛同してもらえる飲食店を動画で紹介していこうとしていた矢先、新型コロナが猛威を振るい始めました。
ユーチューブが注目を集めて、人生は一変
新型コロナ蔓延によって活動自粛を余儀なくされる一方で、思わぬチャンスが訪れます。
事故の後遺症で肺機能が低下している尚子さんは外出を控えるようになり、「これからどうやって発信を続けていこう?」と考えた末に思いついたのが、ユーチューブ動画の配信でした。
2019年秋に開設していた「しょうこチャンネル」は、新型コロナの流行で人々のおうち時間が増えたタイミングもあって閲覧数が上昇。さらに、事故や卓球選手時代について語った自己紹介動画をアップしたところ、ユーチューブのおすすめ動画として取り上げられ、一気に注目を集めたのです。
「ユーチューブだと、心のバリアフリーの大切さをより多くの人に知ってもらえている気がして。これは続けていくべきだよね、となりました」
ユーチューブを通じて発信する、障がいのリアル。それは、同じようにハンディーキャップを持つ人、またそうではない視聴者からの反響も大きく、障がいへの理解や心のバリアフリーの大切さが広がるキッカケとなっています。 「寄せられたコメントを読んでいると、『生きる勇気がわきました』という書き込みが多くて。私はそんなつもりで動画をアップしているわけではないんですけど、死のうと思っていた人が、私の動画を観て生きようと思ってくれたなんて、こんなに嬉しいことはありません。以前は表舞台に立つことが得意ではありませんでしたが、ユーチューブを配信することで、誰かの役に立っていると思うと、自信がつきました」
こうして人気ユーチューバーとなった尚子さんは、『パンテーン』のCM出演や、東京オリンピックの聖火ランナーとして夢だった舞台に関わるなど、新しいことに次々と挑戦。昨年からは念願の一人暮らしもスタートしました。
「障がいの取り扱い方」を知って心がラクになった
一人暮らしを始めて一年半。午前中は入浴介助や食事づくりなどをヘルパーさんに支援してもらい、それ以外のことは自分で器用にこなしている尚子さん。
手足が動かないだけでなく、体温調節ができないことや排泄障害など、見た目では分かりづらい障がいにも悩まされてきた彼女にとって、ここに至るまでには並々ならぬ困難があったはず。それらを乗り越えられたのは、自らの障がいと向き合ってきたからこそです。
以前は、自分の障がいから目を背けていた尚子さんですが、「自分の体の状態を理解して、最適な方法を見つけ出していけばいい」と気持ちを切り替えてからは、心穏やかに過ごせるようになりました。
「入浴するときはヘルパーさんの力を借りて、体は自分で洗う。着替えは手伝ってもらう、といった感じで、人の手を借りながらも出来ることは自分でやっています。出来ないとばかり考えるのではなく、『じゃあ、どうすれば出来るようになるだろう?』と考えられるようになってからは、前向きになれました」 まさにプラス思考への切り替えで、自分にとっての最適解を見つけてきたのです。
仲間と会社を設立。地元企業とスキンケア商品を開発
さらに地元・熊本の企業からスキンケアの商品開発についてオファーを受けたことから、活動の幅を広げようと2021年3月、『株式会社CREIT(クレイト)』を設立。 一年がかりで商品化された馬油入り保湿クリームは、男女問わず使えるオールイン。手が麻痺していても扱いやすいプッシュタイプの容器を採用しました。「まだまだ改善の余地があって。商品開発って難しいですね」と苦笑いする尚子さん。高みを目指すその姿勢は、卓球選手時代に培ったアスリートそのものです。
設立した『CREIT』には、尚子さんとフミヤさん以外にも「心のバリアフリーを広げたい」との思いに賛同してくれたクリエイター仲間たちが結集。動画やSNSを通じた情報発信を軸に、バリアフリー施設のアドバイザリーを行いながら、自身の夢のひとつでもある、とあるプロジェクトに向けて準備を進めていくそうです。
絶対にあきらめない。いつかチャンスが来る日のために
「課題が多い方がやる気が出る!」と、常に前向きな尚子さん。彼女をそこまで突き動かしているもの、それは尚子さん自身が歩けないことを知ったとき、母親が発した「あきらめちゃいかん、絶対にあきらめちゃいかんよ!」との激励。この言葉を胸に、これまでリハビリに励んできました。
「事故から10年経つ間に再生医療が大きく進歩したことを考えると、いつか最新医療を受けられるとなったときに万全の状態でいたいから。歩きたい気持ちは、ずっと変わっていません」
だれかが一歩踏み出すキッカケになりたい
「くまバリ」を経て「しょうこちゃんねる」で人気ユーチューバーとなり、さらには会社設立へ。新しいことに向かって挑戦し続けるなかで確信したのは、「伝え続けることの大切さ」でした。
「ユーチューブを通じて発信し続けることで、“心のバリアフリー”に共感してくださった方々が身近なところで実践してくださっています。『段差をなくしてバリアフリーを増やしたい』という発信も大切ですが、心のバリアフリー、つまり人の優しさで救われる人がたくさんいる。当事者みずからが発信し続けていくことが大切だと感じています」
たとえば、車椅子でお店に入ることが難しいとき。「誰か気づいてよ、助けてよ」と待つのではなく、「こんなふうに手伝ってもらっていいですか?」と自分からお店の人に声を掛けてみる。すると、「そんなふうにすれば、バリアフリーじゃなくてもお店に来られますね」と気づいてもらえて、障がいへの理解者が増える。
「キッカケのタネを撒いていくことで、心のバリアフリーって広がっていくのかな、と思います」
とはいえ、前向きになれない、一歩踏み出す勇気が出ない。そんな考えもあっていい、というのが、尚子さんのスタンス。
「私も前向きになれない期間が長かったから、よく分かるんです。それでも発信を続けていれば、『自分も何かやってみよう』というタイミングがいつか訪れるかもしれないから。そんなとき、一歩踏み出す後押しになれたら嬉しいです」
不慮の事故から重い障がいを抱えて絶望するなか、人の優しさに救われてきた尚子さん。 障がいの有無に限らず、高齢者やベビーカーを引くママといった誰にでも優しい社会を目指して「心のバリアフリーが当たり前になるまで発信し続ける」との思いは、確実に広がりをみせています。
Co-Co Life☆女子部との関わりは?
2016年4月に発生した大規模な熊本地震。「障がいがあって熊本で暮らす方々を、誌面を通じて笑顔にしたい」との思いから、同年9月1日に熊本県内企業とコラボレーションして「Co-Co Life☆女子部熊本支援号」を発行。尚子さんに表紙モデルをお願いし、ステキな笑顔で表紙を飾ってもらいました。
高橋尚子(たかはししょうこ)さん
1993年2月熊本県生まれ・同県在住。17歳のときに交通事故で頸髄(けいずい)を損傷し、四肢麻痺・体幹機能障がい・握力ゼロ・排泄障がい(膀胱ろう造設)・自律神経障がいとなり、車いす生活に。バリアフリー活動家として2021年に『株式会社CREIT(クレイト)』を設立。ユーチューブ配信をはじめ、企業との商品開発や講演活動など精力的に活動中。
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▼CREIT(クレイト)https://creit.co.jp/