重度障がい児家族の会 宮城 由美子代表インタビュー 「“とりこぼされる人”をなくしたい」

 2018年4月2日埼玉県さいたま市岩槻区馬込に開設された医療型障害児入所施設「カリヨンの杜」。重度障がいで医療ケアが必要な息子の遼大(りょうた)さん(20歳)と暮らしながら、カリヨンの杜に通所する家族で構成する「カリヨンの杜医療的ケア児・者家族の会ohana」(以降ohana)の代表を務めている宮城由美子代表にお話しを伺ってきました。

※提携サイト「らくゆく」からの転載記事になります。

みどり豊かな「カリヨンの杜」

<宮城代表ってどんな人?> 
家事・遼大さんの介護・週5日通所している「生活介護事業所」の送迎(週2回送迎サービス利用)後、イベントの企画提案・準備・外部との交渉や他活動の情報収集など忙しい日々をおくっている。

みんなで笑顔に、つながれる場所を作りたい

ohanaをご自身で立ち上げたきっかけを教えてください。

 今から約20年前、遼大を出産。しかし2日後から3年間ほどは、ほぼ入院生活でした。
 はじめは、子どもの障がいや病気を受け入れることができず、自分を責めて、落ち込んで、子どもと一緒に…なんて考えてしまうこともありました。
 でも、子どもたちの生きようとする姿に親は勇気をもらい、子どもの成長を喜び、笑顔でいることが大切なんだと気付かされました。
 その当時の仲間で作ったサークル(入院中の子、通院してるお友達、看護師さん)メンバーみんなで、公園デビューを企画しました。初めての公園。木の下でゴロンしながら、太陽の日差しを浴びて気持ち良い風が吹く中、木々の揺れを感じたり、土の香りを感じたり。病院の中では感じることのできなかった自然と季節を、みんなで一緒に体験できたこと。集まって記念写真を撮った思い出をずっと大切にしています。
 今は天使になってしまったお友達もたくさんいて、活動やめようかなぁって悩んだ時期もありましたが、この時の経験が、私の中では今の「ohana」の原点となっています。

家族一緒に参加した公園デビュー
生後まもない遼大さん
家族一緒に参加した公園デビュー

遼大さんの障がい名:脳性まひ、ミオクロニー癲癇、PIGA症候群、気管支狭窄症
※夜間人工呼吸器、気管喉頭分離、胃瘻、導尿などが必要とされている


どんな時も一人ではなかった…

辛い経験をされても、続けられたのはなぜでしょうか?

 やはり、どんな時も一人じゃなかったということです。保護者、病院関係者、行政の方々などから相談をうけたり、相談をしたりがとても多かったのです。病院の看護師さんや医師、お母さん方から、悩んでいるんだけど、話を聞いてもらっても良いかな?って、ご家族とつないでいただくことが何度もありました。ただただお話を聞くことや、そっと背中を支え、そのご家族が前に進めるパワーになってもらえたらといつも思っています。
 どんな大変な状況でも、一人じゃないんだ!一緒に楽しんだ経験が大切なんです。

手術後の遼大さん
手術後に担当医と

みんな家族・つなぐ・楽しんで活動
遼大と私の経験を発信してほしいと

代表になろうと決めた際、家族に心配かけたり、反対されたことはありませんか。

 主人は、私の性格を一番理解してくれていて、「今何やっているの?」と。
 この活動の他にもいろいろやっているのに対しても、「また今度は忙しく何やっているの?」と声をかけてくれる程度で、まったく反対されたことはありません。
 遼大が20歳になる前から、主人や身内からも誰かに「(奥さんに)本を書いてもらったら?」と言われたことも。私は文章を書くのは苦手だから「無理だよ」と言うと、主人は「遼大の生きてきた証みたいなものを残してもいいのではないか?」と話したこともありました。

 『お母さん覚悟してください』『会わせたい人に会わせてあげてください』と、医師から言われたことも。でも、何度も何度も危機を乗り越えてくれました。子どもから教えてもらうことばかり。本という形ではなくても、活動を通して伝えることが使命なんだと感じました。

 「ohana」はハワイ語で、みんな家族と言う意味が詰まっています。
 あと、遼大は人をつなぐ力があると強く感じています。だからこそ、私には「楽しんで活動してほしい」と言っているように思えます。勝手な解釈かもしれないんですけどね(笑)。

浦和レッズ選手の訪問で、支援学校中が大騒ぎに

遼大くんの成長過程で、人をつなぐ力を強く感じた時のエピソードをお聞かせください。

 一番人とのつながりを感じることができたのは、浦和レッズです。
 私達夫婦は、遼大が生まれる前から浦和レッズの熱狂的サポーター。遼大を初めてホームスタジアムに連れて行けた時の感動は、今でも忘れられません。老若男女・障がいがあるなし問わず、たくさんサポーターがいて、スタジアムに行くたびにサポーター仲間とのつながりが増えていきました。
 昔から仲良くさせていただいている、浦和レッズ元GKの土田さんが、遼大の応援、日ごろ頑張ってる子どもたちの応援にと!たくさんの選手と触れ合える企画を作ってくれたのです。
 通学していた特別支援学校に極秘でプロサッカー2選手訪問の予定が、大半のトップ選手が訪問して学校中が大騒ぎになりました。特別支援学校の子どもたちは、もちろん、教員の皆さんもみんな大喜び!プロサッカー選手のパワーをたくさんもらいました。最高の思い出です。

浦和レッズ選手たちと
浦和レッズ元GK土田さん(左上側)と
埼玉スタジアム サポーター仲間と

現状を打破するためにもチャレンジ

「ohana」の活動に参加されているご家族のお子さんは、どのような障がい・年代の方がいらっしゃいますか。

 医療的ケア(吸引、気管切開部の衛生管理、人工呼吸器などの医療行為)を必要とされるお子さんや、重心(重症心身障害)と呼ばれる重度の障害・最重度障がいのお子さんです。お子さんの年齢は1桁の年齢~24歳までが在籍しています。

「ohanaの会」代表の思いを感じたパネル(カリヨンの杜)

活動での苦労は何でしょうか。

 特に、苦労はなく楽しく活動していますが、活動にはある程度お金がかかってしまいます。お堅い会にはしたくなかったので、会費を集めていません。今日みたいなイベントのOhanaマーケット出展での売上。お気持ちでの寄付、何人かの支援者もいてくれます。講演をお願いする先生には、講演料をたくさん出せないなか、快く受けていただいた際、当日のお弁当提供など、ちょっとした資金でやりくりしています。
 今後は子どもたちの写真展・作品展・お出かけイベント・防災のイベントなどをやりたいのですが、会場を借りるにも設営するにもお金がかかるので、できないといった厳しい状況ですね。
 ただ、そういったことを打破するために、助成金の申請に初めてチャレンジしてみました。申請が受理されたらいいのですが……。

イベントや活動を通じてたくさんの笑顔が

活動を通して、一番うれしかったことは。

 参加されたお子さんとご両親が、イベントや活動を通じて笑顔が見られたときや、イベントが成功に終わったときです。
 特に昨年9月に開催したイベント『星つむぎの村さんの7mドームプラネタリウム』。コロナ禍でリアルな交流の場ができていなかったお母さん方から「宇宙と人はつながっていたんですね~」「命の大切さを改めて感じました」「イベントに参加できてうれしかった」「お友達が新しくできました」などの感想を聞いたときは本当にうれしかったですね。
 きょうだい同士やその他の方との交流、夫婦間の会話が増えたとの声もあったので、イベントを開催して良かったと達成感でいっぱいになりました。

昨年9月に開催したイベント参加者のみなさん

生き抜いた戦友を忘れない
これからもつながっていく

活動しているなかで、一番悲しかったことは。

 先ほどのきっかけでもお話させていただいたのですが、どうしても同じような境遇で……こんなにも頑張って必死に生きているのに、亡くなってしまうお子さんがいることです。そのたびに「神様なんていないんだ!」って重ねて考えてしまい。答えは結局出ないのですが…。
 いつも命の尊さを考えさせられます。そして生き抜いた戦友たちを忘れません。今でもご家族の方々とはつながっています。そしてこれからもずっとつながっていきます。

講演会や勉強会で、参加者が“新たな気づき”になったことは。

 重心の子の大半は、自分でお金を管理できない現状です。“親亡き後の勉強会”の講座では、親亡き後、後見人、遺言、お金の活かし方など、親が準備するために必要な情報を講師の方から聞きました。
 私も遼大が在学中“親亡き後”の話しを聞く機会はあったのですが、この年齢(20歳)になってみて改めて、遺言状と、後見人探しなど、しっかりとした勉強や準備をしていかなければならないと再認識する良い“気づき”となった講座でした。
 参加されたその他の親御さんは、保険を見直す“気づき”への良いきっかけとなったそうです。

 また東大阪ノーサイドの中西良介さんとの意見交換会では、子どもたちが地域で生きていくためにどうすればいいのかを話し合いました。
 たくさんの人を自然と巻き込みながら、壁をなくしていくこと!お互いのバリアを外していくことから。福祉=介護ではない。など、たくさんヒントを得ました。
 地域で生きていくために、これからもいろんなところで、知ってもらえる触れ合えるきっかけを作る。地域全体が助け合える環境づくりをめざす良い“気づき”になりました。行政の福祉担当、保護者、お子さん、福祉関連事業所、学校関係者など幅広い方々が意見交換会に参加されました。

意見交換会を終えて

“とりこぼされる人”をなくしたい
地域など周りのコミュニティーと連携

この活動を通じて、どういった社会を目指しているのか。

  “とりこぼされる人”をなくしたいです。
先ほどの東大阪ノーサイドの中西良介さんとの意見交換会でもございました。地域など周りのコミュニティーと連携を取っていかなければと。
 「ohana」の会はもとより、国の制度や保証に当てはまらない子たちに限ったことではなく、まずは、「この子たちはここにいるよ!」と自然に知ってもらえるように地道に輪をつなげ、広げて、“障がいのあるなし関係なく、誰にとっても安心できる環境づくりへ。一つ一つ目を向けられる社会を目指したいです。

~インタビュー取材を終えて~

 今回の宮城代表のインタビュー取材から、“つなぐこと” “知ること”の大切さを感じました。今後も定期的にこの活動に参加して、紹介を続けていきます。

<カリヨンの杜医療的ケア児・者家族の会ohana主な活動内容は?>
・2カ月1回定期的 おしゃべり会
・常時SNSでの情報交換、多種相談対応
・不定期 講座や勉強会。
・カリヨンの杜 夏まつりやクリスマス会イベントでのフリーマーケット出展。
・施設の医療関係者や専門知識がある相談支援員と、実際に在宅で重心の子を看ている親御さんとのパイプ役。(親御さんのリアルな気持ちや状況を伝え連携)
・専門施設関係者返さず直接個別相談を受けるケース対応。

写真:渡邊誠 文:山本秀一


取材させていただいた2023年7月26日(水)は「カリヨンの杜の夏まつり」の日でした。イベントの様子を写真でご覧ください。

カリヨンの杜での夏まつりイベント出展に参加された「ohanaの会」メンバー