「誰もが笑顔で過ごせる未来をつくる」ため、アクティブに活動を続ける人を紹介するインタビューシリーズ「みらい人(みらいびと)」。第8回は義手ギタリストLisa13さん。12歳の時にギターを始め、東京2020パラオリンピックの閉会式で演奏を披露。2023年からガールズユニット「GAROCK TOKYO」を結成。今年8月にはテキサスでライブ出演と、まさに今が追い風のLisa13さんに「音楽×障がい」について語ってもらいました。
右手のないロックギタリスト
生まれつき先天性四肢障がいにより、右手首から先がないLisa13(リササーティーン)さん。音楽一家の家庭で育ち、ギターに出会ったのは12歳のときでした。
現在はギタリストだけでなくファッション、アート、モデルと多方面で活躍しています。
取材当日、「こんにちは、はじめまして!」と笑顔で登場。自身のロゴ入りTシャツを着て、大きな瞳と真っ黒なアイラインにインパクトがありました。
自分ですいすいとバッグやギターを運び、手際良く準備をする姿を見ていると一瞬、障がいのあることを忘れてしまいます。
インタビューが始まると、確かにテーブルに置かれた右手は手首から先がなく、わずかにある丸い指と爪がちょこんと付いていました。器用に塗られたセルフネイルで両手がキラキラ光り、聞けば三つ編みも自分で編んでいるとか。
取材中、ネイルをほめると「わぁ、ありがとうございます!」と満面の笑みを浮かべたLisa13さん。その表情を見た瞬間、「彼女は障がいに関係なく、自分のことが大好きな女性なんだ」と感じました。
Lisa13さんは2013年、高校卒業と同時にガールズデスコアバンドMoth in Lilac(モスインライラック)でギタリストデビュー。2019年に女子4人組バンドBAD BABY BOMS(バッドベイビーボム)でかわいいポップなアンニュイのある音楽を演奏するもコロナ禍で解散。その後はグループだけでなく、ソロ活動で曲を出すなど精力的に活動しています。
最近は2023年に新ユニットGAROCK TOKYO(ギャロックトーキョー)を結成。元々アイドル出身だったボーカルのMisakiさんに誘われ、意気投合したLisa13さんは新しい一歩を踏み出しました。
現在はインスタグラムを中心に発信し、これまでにそれぞれが行ってきた活動も評価され、今年8月には「Anime Matsuri2024」でアメリカのテキサスに渡米しイベント出演するなど華々しく活躍しています。
「結成から1年も経たないうちに声が掛かるのはすごいことです。想像以上に観客の反応もよかったから、私たちは海外でもいけるって可能性が持てました」
国を超えた貴重な体験に手応えを感じ、Lisa13さんはMisakiさんと2人でなら良い相乗効果が生まれていくと確信できました。
私を支えたのはX JAPANのhide
Lisa13さんは1995年生まれ。家では常に音楽が流れていました。 中でも母親と聞いていた布袋寅泰とX JAPANのhideの大ファン。「彼らの出立ちやおしゃれなプレイスタイルを見て、私もそうなろうって決めてからずっとリスペクトです」
ですが、X JAPANのhideは 1987年代から1998年代にかけてブレイクしたミュージシャン。hideといえば髪をピンク色に染め、斬新なセンスと奇抜なファッションで伝説を作ったギタリストであり、 今でも世代問わず彼を好きなファンは後を絶ちません。
Lisa13さんは、彼の活躍を実際に見ていた世代ではないですが「hide ちゃんは私のロールモデル」と語るほど大きな存在に。常に自分の表現をストイックに追求し続けたhideイズムに影響を受けてきました。
右手がないから何なんだ!?
子どものころのLisa13さんはどんな様子だったのか尋ねると、フリフリのスカートやツインテールが大好きな女の子だったとのこと。派手な格好で保育園に通っていたと話してくれました。
昔から周りの視線が、障がいのある右手ではなく、服装に目がいくことが多かったと言います。「ファッションに守られていた部分はあるかもしれません」
障がいが原因でいじめに合ったことは幸いなかったといいます。ときどき男子にからかわれることがあっても、その場で言い返すガッツがありました。
「両親からも、そういう時はしっかり反論するように言われていたので、『右手がないから何なの!?』と負けませんでした」
唯一大変だったのは体育の授業。跳び箱やマット運動など、両手でバランスを取るものは苦戦し、鉄棒はつかめないため先生に抱えてもらいました。
「私だけでは難しいと思ったら、すぐに周りに助けてもらいました。人に頼る大切さは子どもながらに学んでいましたね」
やがて12歳になりギターに出会います。ハワイバンドギターをやっていた祖父にコードを書いてもらい、最初ギターを床に置いて琴のように弾き「ポロロン」と音が出ると、とてもワクワクしました。
その後は上手くなるために父親と義手ピックを作るようになり、中学生の時にはお年玉でイエローハートのギターを買うなど、どんどんギターに夢中になっていきました。高校ではギタリスト田中一郎氏と斉藤光浩氏が講師を務める通信制高校に進学します。
「お二人は私を1人のギタリストとして見てくれました」
当時は先生と生徒として技術を学び、お互いに好きなC Dを聞いてお互いに感想を話すなど充実した3年間を送ったとのこと。Lisa13さんは他の生徒と比べても人一倍、熱意がある学生でした。
義手ピックは父親と手作り
ところで、ギターを弾くための義手はどう作られたのでしょうか。手の代わりになる義手ピックは全て父親と手作りし、現在は7代目になります。
「たまにDMで『その義手はどこに売っているんですか?』と質問が来るので、知りたい人がいるならとYouTubeで制作過程を発信しています」
ホームセンターにある合皮と短い金属板を用意し、金属板にドリルで穴を開け事務用品のクリップを装着させて、ピックを挟ませます。何度も試行錯誤した結果、今では激しい動きにも耐えられるオリジナル義手ピックができました。
ただ、障がいによって装着した感覚や、動きやすさなどは人によってさまざま。自分で研究することが大切なようです。
パラリンピック後、「義手ギタリスト」と名乗る
Lisa13さんがライブステージに立つとき、そのビジュアルやアーティスト性の高さに圧倒され、義手ピックに気が付かないファンも多くいるとか。
「私は正直、自分の障がいを知っていても、知られていなくてもどっちでもいいかなって」
ですが、Lisa13さんの現在の肩書きは「義手ギタリスト」。東京2020パラリンピックの閉会式の出演後、心境の変化があったといいます。
コロナ禍でのパラリンピック開催、またとない出演依頼を受けて最高の舞台にしようと気合いを入れました。
5日間に渡り、閉会式でのリハーサルを無事に終えて当日は無観客でいざ本番。戦いを終えた選手団を前に、5メートルも高く上がるステージで8小節によるソロパートを披露、世界から脚光を浴びた瞬間でした。
独特な空気感に、さぞかし緊張したのではないかと質問すると、「周りは緊張したみたいだけど、私には心地よい緊張感」と余裕な発言。どんなときも堂々としています。
パラリンピックをきっかけに、Lisa13さんの存在を知った人たちが大勢いたことで、いずれは自分たちの音楽活動に興味を持ってもらえればと肩書きを変えました。
「よく、『障がいをウリにするのか!』って批判する人がいるけど、私はウリにしていいんじゃない?と思います。それも自分の個性だし、引き出しは多く持っていた方がいいから」
常に明るく、カラッとしているLisa 13さん。障がいに関係なく、好きなものにまっしぐらでチャーミングな女性です。
自分をどう見せたらいいのか、常に「表現」に対して真摯に向き合うアーティストでした。
インタビューの最後に生ギターを披露してくれました!
ライターより インタビューを終えて
義手を付けてのギターはどんな風に弾くのか、目の前で見られることは滅多にないので興味津々でした。しかし、いざ撮影が始まると義手ピックのことは全く忘れてしまうほど、ただただLisa13という女性はカッコいいのです。
もし仮に健常者で生まれて、右手があったとしてもLisa13さんは今と何ら変わりなく、好きなものを純粋に追いかけている人ではないかと想像します。
また「私をきっかけにしてほしい」と同じ障がいの方に向けて、さまざまなアクションを起こしています。今、自分の障がいや病気に悩む方、何かしたいのに一歩踏み出せない人は一度Lisa13さんのアーティスト活動に触れてみてほしいと思います。
Lisa13(リササーティーン)
1995年1月生まれ
先天性四肢障がいを持つ 義手ギタリスト
エンターテイメントの世界で活躍し、東京2020パラオリンピックの閉会式に出演。
現在は2023年結成の音楽ユニット「GAROCK TOKYO」をメインに活動中。
ロックに対する情熱とビジュアルがファンの心をつかむ。
公式HP https://lisa13.com/
TikTok https://www.tiktok.com/@onehandedguitarplayer
Instagram @lisajpoole13
写真:阿部謙一郎 取材・文:飯塚まりな